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[コメント] 鬼火(1963/仏)

「冷めた紅茶」を飲んだような余韻。
muffler&silencer[消音装置]

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







初見は、確か、高校一年か二年の時。関西ローカルの深夜TV番組「CINEMA DAISUKI」での「ルイ・マル監督作品特集」で、テーマに惹かれてビデオ録画した。いや、テーマというより、放映前の解説テロップで、ラストはすっかりネタバレされていて、つまり「男が自殺するまでの二日間のスケッチ」という筋に惹かれた。

誰しも、中学・高校生という多感な年頃には、「死」に対して異常なまでの興味や執着を持つというか、何とも言い様のない感傷と共に、そのコトバの感触を舌で転がし、胸に抱えつつ悶々とするのではないだろうか。そして、死に対する美意識、不思議な憧憬の念を抱くのもこの頃だ。僕もその例外ではなかったし、ゆえに人並みに自殺願望もあった。(他殺願望はなかったけれど。)

「だからこそ」、物語に惹かれて録画もしたが、同時に、「だからこそ」、どうしてもラストまで観終えることができなかった。

アラン(=モーリス・ロネ)が、生ぬるい空気に支配されたパリを泳ぐ様を、何度も繰り返し見ていたかったし、と同時にその逆もまた然りで、見ていたくなかった。また、ラストを知っているからこそ、アランの死、その瞬間を見たくなかったし、見てはならないような気がしていた。アランが死ぬ時、僕も、いや僕の中の何かが死ぬような気がした。それが堪らなく怖かった。劇中のアランの「怖い!怖い!怖い!」という吐露、そのままに。だから、何かしら死にたくなるような夜、そして堪らなく眠い夜更け、そっと録画テープをデッキにセットし、再生のボタンを押したのだ。

アランが、あの「透明で澱んだ空気」の中を泳ぐ姿を確認するだけで、なぜか安心できたし、彼が去った後の「不透明で澄んだ空気」の憂いと沈鬱がまるで媚薬のようで、加えて、サティのジムノペディの心地よく不安にさせる旋律が、僕にとっては鎮痛剤であり睡眠薬であった。きっと、そうでなければならない自己暗示だったのだろう。

やがて、アランの存在そのものが、僕の中では「異形のヒーロー」となった。その頃夢中で何度も読み、僕の「生涯の本」となった、カミュ作『異邦人』のムルソー、カフカ作『変身』のザムザ、彼らの姿や顔形は、僕の頭の中では、このアラン、ロネの容姿と同一化していった。

それをもう10年以上も続けてきた。(留学先のニューヨークと日本を行き来するうちに、テープも紛失し、ここ数年は見なくなっていたが。NYの名画座でも見る機会を得たが、ラストは敢えて見なかった。) そして、ラストを見なくとも、僕の中でこの映画は、『異邦人』や『変身』と同じように、「生涯の映画」であり大切な作品なのだった。

だが、この前、あるきっかけがあって、「今日こそは最後まで見よう」とビデオを借りたのだった…

ラスト ― 既視感。

今まで味わったことのない、冷めた紅茶のような苦い唾が喉を通り過ぎていった。「たいしたことなかったな」と思った次の瞬間、物凄い喪失感に襲われた。

やっぱり「答」は出すべきじゃなかったのか。いや、これで良かったのか……

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とある友人が、この間、こんな話をした。

リアリティ・バイツ』(僕は未見)の主人公ように大学を優秀な成績で卒業したものの、就職できず、気がついたらもう三十歳前。アルバイトをしながら、クラブでDJをしたりして、漠然と同時に確実に時間は過ぎていく。「したいことをしているのだから、いいのだ」そう誇りに思う自分と、「どんどん自分の居場所と時間が失われていくという漠然とした焦燥感」に襲われる自分がいる、そんな毎日。そして、あるクラブのイヴェントで成功を収めた夜、自殺しようと、もう死んでもいいと思ったそうだ。

元来、彼は自殺願望アリアリの人間で、また「死(→老いない→思い出に残る→)=美」のような幻想を抱きがちなのだそうだが、その夜は、「四肢は血飛沫を上げて 放り出され、体はゴキゴキと音を立てながら粉砕されて、顔は半分」の生々しい自己の死体を思い描いたそうだ。

そして、彼は死ななかった。

恐らく太宰治の言葉だと思うのだが「死んだ自分の姿はぶざまだが、このまま生きているよりもぶざまなことはない」を引用し、その空想の死体よりも、その時生きている自分の方がまだ美しいと思えたのだそうだ。

そして、コンビニ弁当を食いながら、親指をぐっと噛みしめ、その「痛み」が妙に嬉しかったとも語った。

貴方なら、「長いモラトリアムだね」と苦笑混じりに彼の話に句点を打ちますか?

僕にはとてもできなかった。他人の生き方を否定するなんて一体誰にできようか。自分の生き方を否定したくても、否定できない、それこその苦渋。

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漠然とした焦燥感。

愛の不毛に感情の涸渇。

精神的飢餓感。

肉体の必滅性、時間の確実性と存在の不確実性。

それら絶望ゆえの、諦念と韜晦の中にある孤独な漂流者、アラン。

気がつけば、誰しも「アラン」なのではなかろうか。そして、誰もが、それに気付かないように注意しているのではなかろうか。その助けとなるのが、例えば、一杯のワインであったり、一箱の煙草であったり、一本の映画であったり、一人の友人であったりする。「誤魔化し」と嘲笑することができるのならば、貴方は尚シアワセだ。

ジムノペディがアランの影を踏むが如く奏でられる様に、このモノクロの画像に浮かび上がり静かに揺れる「鬼火」。この映画そのものが、僕の人生にとっての影であり、この映画を見るという行為は僕にとって「影踏み」に他ならない。そこまで迫真性のある映画に、いかに苦痛が伴おうとも、僕は見過ごすことはできなかったのだ。

ある不確かな存在の男の歩みが、これほどまでに確かな存在となって焼け付いたフィルムが他にあろうか?たった二日という時間の中で、これほどまでに生と死の深淵を覗かせ、突き落とす物語が他にあろうか?

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遅々とした歩みを急がせることのないためにも。アランにはアランの人生をもって死を迎えさせ、僕には僕の人生をもって死を迎えるために。今、見る時だったのだ。そう思う。

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追記1:「冷めた紅茶」というのは、『妊娠カレンダー』で芥川賞作家となった小川洋子の『冷たい紅茶』から連想した。彼女の著作も、高校大学時代に静かに熱狂したもので、生と死を、瑞々しくもどこか解剖学的な冷静さをもって綴っていると思う。

(評価:★5)

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