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[コメント] 二人で歩いた幾春秋(1962/日)

戦後から始まる年代記で、いつまで来るのかと観てたら、最後に描かれる出来事は映画公開の年だった。このスピード感、臨場感も重要だよね。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 名古屋の葬儀社・ティアの社長が言っていた。「日本の学校教育は、いい点数を取って、いい大学に入って、いい会社に入って、ということしか教えない。その会社で何をするのか、その仕事の先に何があるのか、その提供された財やサービスで、どんな人が恩恵をこうむるのか、その人たちにどう感謝されるのか、そうした本当に大切なことを教えない」と。

 まさにその通りで、私の受けてきた学校教育も、概ねそんな感じだった。

 この映画の描くところもまさにそれ。一生懸命勉強して京都大学に入り、紆余曲折はあったものの最後には大学を卒業する。京大で何を学んだのか、社会に出てそれをどう活かし、どういう道に進むのか、といったことは、まったく描かれない。と言うより、作る側が、それらを描く必要をまったく感じていない、という感じ。

 だがこれが、社会の共有した、特にこの時代までに顕著な、一つの夢であったことも、また確かだろう。だからこそ、それ以上を描く必要がない。それで良かったのだ。それでみんな、真面目に働いたのだ。どんな仕事であろうがなかろうが、黙々と、コツコツと働いて、それで家族を養い、社会に奉仕し、お国に税を納めてきたのだ。なんで、それじゃ駄目な社会になってしまったのか?

 思うに、道路工夫とは重要な仕事だ。僕が週末、ジョギングをする公園の土の道は、雨の翌朝は水溜まりだらけになる。ときに、土が被さっていることがある。これまでは、ああ、誰か公園の係の方が、やってくれたのだなあと、思う程度だった。でもこの映画を観たからには、会ったことないから顔までは思い浮かべられないが、今後は具体的な人格に思いをやり、感謝の気持ちを抱けるようになるだろう。なりたいし。

 主人公は、自分の仕事が世間から無視され、馬鹿にされ、虐げられる心情を吐露するが、自分でも自分の仕事を蔑んでいる。僕らの社会は、こういう仕事に対し、感謝をし、尊敬をするということを、しない社会であってきたのかもしれない。

 これからは、少しでも、そういう感謝の念を伝えられる世の中になってほしい。

 そんなことに気づかされ、そんなことを思わされる作品だった。

80/100(13/04/16記)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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