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[コメント] 男はつらいよ 寅次郎の青春(1992/日)

当時の流行り言葉なのかどうか知らないが(記憶にない)、かもしれない、という台詞を寅が乱発するのは、あまり面白くない、かもしれない・・・。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 満男×泉の恋話は、ほんとにどうでもいい感じ。取って付けたようなキスシーンはともかく(むしろいい出来)、これまで遠く離れていても続いていたのに、いや、遠くへ行ったって簡単に追い掛けたのに(今作もだ)、なぜ、泉が東京から新幹線で1時間半の名古屋に帰るだけで、2人の関係は終わってしまうのか・・・。後藤久美子との出演契約が4本までだったから、とかしか思えない。

 風吹ジュンのマドンナも軽い。一方的に寅に惚れておいて、突然怒り出しちゃったりして、何なのこの情緒不安定な人・・・。独身で働くすべての女性に対して失礼ではないのだろうか・・・? 寅も、「指一本触れてない!」とか言い出しちゃって、あ、少しは惚れてたんだ、と。まあ、この人は誰でもいい人だからね・・・。

 満男×泉バージョンになってからの数々の疑問箇所が、疑問のまま終わりを遂げる。そして、それでも寅さんとしては続いて行く。ある意味凄いよな、このシリーズ。ムゴイというか・・・。

65/100(19/8/29)

※ちなみに満男は本作で、寅が惚れた相手の思いを受け止めない理由について、自分で自分に中身のないことを知っているからだとか、論じてた。ま、外れずと言えども近からず、か。

▽▽▽以下20/2/16追記▽▽▽

 寅が、蝶子さんに気のあることを自ら確認したというシーンはあった。そういうことに自分からは気がつけないまま、というケースもままある。そのことがまた悲劇を生んだり周囲に迷惑をかけたりする。だから、自分で気がつけたことは進歩というか重要な一歩だ。前進だ。そして、蝶子さんにも自分を想う気持ちがあると知る。こうなると寅は、スッと身を引く。旅先なら柴又に帰ろうとするし、柴又なら旅に出てしまう。それは、脚本がそう要請するから、と言うよりは、そういう性格設定なのだ。自分の恋は、成就させちゃいけないと思っているという。なぜそう思うかと言うと、満男の言う「自分に中身のないこと知っているから」よりは、もっと簡単に、自分に甲斐性のないことをよくよく知っているから、と考えておいて必要充分ではないか。寅はこれまで、そういうことを身に沁みるほど学んできた。言ってみれば寅というキャラクターの、ここが着地点ないし終着駅だ。シーケンスに現実味はないけれど、脚本家が、こんな男に気を持たせられたなら、そりゃ女は怒るよなと考えるのは無理ないか。でも、甥が実の伯父に向かって、「中身がない」なんて批判を口にするものかいな。脚本の言葉の選び方がぞんざいになってきている・・・。

♨♨♨以下22/8/21追記♨♨♨

 「男の人が来るのを待つことが幸せだとは思わない」てな台詞を泉(後藤久美子)に言わせていた。だから、「男の人が来るのを待つ」という、蝶子(風吹ジュン)の願う「幸せ」が、普遍的なものではないという認識は、作り手の側も持っていたのだ。でも、この願望は、単に蝶子に台詞でペラペラ語らせるだけで、なにかロマンテイックなファンタジーみたいに成立するとでも思っていたのか。僕は、もう少し伝わるような表現を工夫する必要があったと思う。聞いてて「気持ち悪りぃ」という感情が沸き立つのを抑えられなかったから。

 下呂温泉で寅次郎(渥美清)と竜介(永瀬正敏)が再開するラストシーケンスでは、二人して蝶子の行動を「女は訳がわからない」とクサしていた。蝶子の理髪店をフラりと訪れた男性客と蝶子が結婚し、福岡へ行ってしまったからだ。「男はつらいよ」という本シリーズではあるが、この辺りにくると「マドンナ」がつらい存在に成り下がる。どんなマドンナにフラれても、その全責任は一方的に寅にあるというのが、本シリーズの越えない一線だった。この一線を防波堤に、安心して観ていられるという価値観を植え付けられたのだとも言える。正直に言って、ここへ来ての「決壊」は、いい感じはしないというか、受け容れがたいものがある。

(評価:★2)

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