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[コメント] 男はつらいよ 奮闘篇(1971/日)

「駅はどこですか」「目の前にあるだろう」「そうでしたか。以前からそうですか」★関係ないが、屁話喧嘩の箇所はシリーズ屈指の笑場面と思う。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 桜がまず、自分たちが寅の母親のことで真剣な話をしているときに、寅が大きなおならをしたと泣き顔で博に訴える。おいちゃんもおばちゃんもそれに同調。そこへ寅が戻って来たので、博が、それは兄さん(寅)が悪いと言う。寅が、出るものはしょうがないと言い返すと、おいちゃんが「お前がたるんでいるからだ」、おばちゃんも「我慢するもんだ」と畳み掛ける。見かねた博が「たかがおならぐらいのことで興奮しないで」と皆をなだめようとすると、おいちゃん「たかが屁ぐらいとは何だ!」と今度は博に食って掛かる。おばちゃんも「あなたはあの音を聞いてないからですよ!」。すかさず寅が「こいた本人もビックリしたぐらいの音だった」と混っ返す。緒が切れたおいちゃん、寅へ「表へ出ろ!」。寅「屁こいたぐらいで何だ。糞したら自殺しなきゃいけねえのか?!」。桜が耐えかねて「お兄ちゃん!おならの話なんかしてないでしょ!お母さんの話してんのよ!」。嘘つけ!始めからおならの話してたじゃねえか!みたいな。

 ★ ★ ★

 沼津駅前の交番。寅は、頭の弱い娘(榊原るみ)が、警官の居丈高な態度に萎縮しているだけだと見て取った。寅はまた、警官の方も、職務に熱心なだけで、娘の扱いに手をこまねいているのだと見抜く。あらゆる社会正義の観点から見て、寅の見立ては正しいのであるから、普通にそこから会話を切り出しても良かったはずである。だが、こういう一見まったく無駄な会話が、やっぱ必要なんだよな。まあ、脚本家が必要と考えているということだから、観念的である可能性はある。でも、寅の洞察力と対処力、それに心根の優しさを見事に表したシーンだと思った。無論、この後のシーケンスで寅と警官(犬塚弘)が花子(るみ)に示す優しさも、しんみりと見応えがあるわけだが。

 ★ ★ ★

 寅は、台詞にあった通りで、この娘が自分に好意を持っているのなら(だば、私、寅ちゃんの嫁っこになるかな)、自分が一生この娘の面倒をみるのが責任だと、純粋に思ったのだと思う。兄びいきの桜は兄のそんな思いを肯定し、おいちゃんおばちゃんは、できたりする子どものことを考えて反対する。おいちゃんおばちゃんの方が常識人だろうか。でも、そんな結婚は絶対にうまくいきっこないと言い切るだけの体験的根拠は、ない気がする。

 ただ、僕なんかが思うのは、知的障害者の方であっても、働くことの責任と喜び、その双方を知ってほしい。津軽に紡績工場はなかったのかもしれないが、あんな小さな小学校の用務員の代用アルバイトみたいな持続可能性の低そうな仕事でなしに、ちゃんとした職に就いてほしいと。そういう描写だったのだろうけど。寅パートでも、そういう職が提供できた訳ではないだろうけど。

 ★ ★ ★

 ラストシーンは、寅に俺が死んだと思ったかと聞かれ、桜と一緒に、「あなたが死ぬなんて思う訳ないでしょ。でもほんの少しでも心配して損した」と思って観た。みんなそうじゃないか。そんな、みんなと同じ感想を勝手に共有できたような幸福感があった。

80/100(2019/01/01見)

(評価:★4)

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