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[コメント] 2001年宇宙の旅(1968/米=英)

2001年12月、人間でさえこの映画を理解する奴は少ないってのに、況や人工知能においておや。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







せいぜいチェスで人間に勝てるようになったくらいなので、「HAL」を創造したキューブリックの予想(?)は見事はずれてしまいました。天才といえども、時代の想像力の制約を超えることはできないんですね。

(いつも)エラソーなこと言ってますが、昨日(12/23)初めて観ました(いやお恥ずかしい)。『A.I.』の方を先に観ていたせいもあり、もっとHAL君が偉大な知的存在として活躍する映画かと思ってました。そしたら、自分でミスは犯すわ、あっさり人間に負けちゃうわ・・・。考えてみればキューブリックも、いくら人工知能が発達したところで、自分のような映画は撮れまい、って思ってた口でしょうから。

冒頭、画面真っ暗なまま不協和音を4〜5分聞かされるシーンで、もう席を立とうかと思いました。たぶんこれは以後の展開に馴れさせるための準備運動なんだろうな、と考えて耐えたので、おかげで最後まで(寝ずに)乗り切ることが出来ましたが。ご配慮いただきどうもありがとう、って感じすか。まあ、途中までは飽きさせない為の技巧も駆使されていたし、キューブリックだってせっかく作った自分の映画を、やっぱ最後まで観てほしいわけですよね。

そんなサービス精神の現われかどうかわかりませんが、猿の章は大笑いさせてもらいました。この部分だけだったら、難解芸術映画としてではなく、突込みどころ満載のお笑い「トンデモ」映画として名をとどめたことでしょう。中に人間が入ってるんだと気付いた時にも吹き出しましたが、そのせいで手足ばかりやけに長く、とてもこの後人間へと進化する骨格には見えないという、悲しい矛盾も笑えます。なにより、実は人間がキーキーわめいているのかと思うと、ほんと役者さんてのも因果な商売だな、と同情しながらもニヤニヤしてしまいました。なかにはチーターに噛み殺されそうになってた方もいましたが、ほんとあの猿だいじょぶだったんでしょうか。あ人か。

残念ながら、ここキーポイントなんでしょーが、突如現れた得体不明の「板」と、猿が動物の骨を武器として使うようになることの間に、なんの因果関係も見出せませんでした。それまでにも、石をつかんで投げる、などの行為は見られたような気もしますし。もし解釈が許される――手掛かりは与えられてないので、無理に解釈する必要はないのかもしれない――なら、むしろ破壊や暴力へと駆り立てる「悪意」のようなものをもたらしたのだ、と考えられないでしょうか。「悪意」が猿を人へと進化させた、という主張なら、当否はともかく、理解できます。あまりにも強烈な皮肉ではありますが。

そう解釈すると、数百万年後に月で発見された「板」も悪意をもたらすものとして描かれているのがわかります。と言っても、記念写真を撮ろうとしたら超音波(?)を発して人間を困らせる、という程度のものなので、悪意というより「悪戯」に過ぎないかもしれませんが。

それにしても、「板」は木星に向けて電波を発しているという話でしたが、木星も惑星、地球も惑星、月なんかその衛星に過ぎないのに、どうして木星の位置を突きとめたんだろう?という、映画の外枠からの突っ込みはおくとしても、なぜ木星なんでしょうか? たぶんこれは、当時、木星が生命の源であるという学説が有力だったとか、そんな事情を反映しているのだろうとは思います。でも、木星で生まれ得る生命なんてのは、せいぜいアミノ酸に毛が生えた程度のもの(ここらへんの知識は不正確です)で、知的生命体の誕生とはなんの関係もないはずなんですが。

しかしキューブリック自身は、この映画で、木星を知的生命体を産み出した母として描いている可能性はあると思います。木星に近づいてから、HALがナーバスとも思える自信過剰を見せた後、人間に対して反乱を起しますが、あれは、ミッションを遂行したくなかったから、木星に行きたくなかったからではないでしょうか。知的生命体(オーガ)の母たる木星の存在を、人工知能(メカ)であるHALは、畏怖していたのだ、と。

(※すいません、「オーガ」と「メカ」の呼称は『A.I.』からの借用なので、ここで使うのはちょっと唐突ですが、「使える」感じがするのでそのままにしておきます。)

そう解釈すると、ラスト30分(40分?)の綺麗な映像は、知的生命体の誕生過程=精子が卵子に着床/受精する過程を映像的に表現したものだ、で○(マル)でしょう。

もう1つ、こう考えたら面白いなと思うのは、HALの「死」が明示されているわけではないので、あの宇宙に漂う巨大な胎児は、生き残った船長の子ではなく、HALの子なのではないでしょうか? HAL子! くだらない冗談はともかく、映画的にはこう考えた方が断然面白いですね。キューブリックはそのくらいの悪意は持っている人だろう、人類はついに神の外戚になったのだ!と。

私の稚拙な解釈ゲームはここらへんで止めにしますが(「2010年」もアーサー・C・クラークの原作も見ずに書いているので、まったく見当違いだったら恥ずかしいです)、この映画を見て私が思ったのは、「映画は時代の技術のくびきから逃れられないものだな」ということです。絵画や音楽は200年、300年前のもので、今とまったく違う技術体系で作られていたとしても、その素晴らしさは衰えないと思えます。だがこの33年前に撮られた映画は・・・。皆さんわりと「いまだに色褪せてない」「現役として通用する」という評価が多いようですが、う〜ん、ほんとにそう思ってる?という気がします。『スターウォーズ』や『エイリアン』はともかく、(内容は別として)『アポロ13』や『レッド・プラネット』、あるいは『アルマゲドン』あたりと比べても、技術の古臭さは一目瞭然だと思うんだけどな。もちろん、当時ゼロから作りあげたというその独創性には敬意を表しますが。

したがって、やはり映画は、人類が昔から持っている「物語」なる伝達形式にきちんとこだわって作ってほしい。私は映画をその様に考えているので、スタンリー・キューブリックのこの「話に決着をつけることを放棄した無責任な映画」に対する評価を短く言うと、「下手くそ!」というものになります。キューブリックを下手くそ呼ばわりはちょっと無謀という気もするので、あえてコメント欄に掲げることは避け、無難なコメントでお茶を濁してますが。

ところで、あの「板」はモノリスって言うの? 映画の中でなんと言われてたか記憶にないなあ。なんで皆さんがそのことを知ってるのか、それが一番の謎だったりして・・・。

75/100(01/12/24記)

(評価:★3)

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