[コメント] ぼくの伯父さん(1958/仏=伊)
笑いの強度が低いし、ややクドい。ストーリーもあるにはあるが、間延びしていて、あまり用を成していない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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やりたいことはなんとなく分かる。現代文明批評みたいなことだ。工場内・事務所内では、ボイラー音というか壊れたガイガーカウンターみたいな不快音が常に鳴り渡っている。高度に効率化された生産様式に潜む非人間性に対しての拒否表明である。
驚くのは、本作から半世紀以上を経ているわれわれでさえ、すっかり慣れきってしまい気にも止めなくなっているが、日中仕事をしている事務所は、低くこうした音に包まれているということだ。タチの時代を透徹する批評眼の鋭さには敬服せざるを得ない。
しかし一方で、「現代アート」的な最先端生活を送る揶揄の対象である経営者夫婦は、夫婦像としては理想的に仲睦まじく描かれている。「伯父さん」が立ち去ったあと、和解が訪れる経営者の父とその息子のエピソードも同様だ。
犬猫が走り回り馬車が闊歩する“人間性豊かな”下町風景も、崩れかけた人工物などに溢れてはいた。
われわれが“非人間性”を嫌うのは当然だけれども、“高度に効率化された生産様式”の方では、それならそれとわれわれの好みに装いを合わせてまたやって来るだけ、ということまでをも、タチの批評眼は透徹していたのかもしれない。
70/100(14/11/16記)
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