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[コメント] エンジェル(2007/英=仏=ベルギー)

いい映画を見た、なんて簡単な言葉では表現できない。少なくとも、凄く疲れた。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 話は単純。いわゆるハーレクイン系、シドニー・シェルダン系、ジェットコースター系という、次から次へと休みなく出来事が振りかかり、不運克服→幸運入手、の連鎖で栄達を極めていく主人公の怒涛の生き様を描き、最後に拍子木がチョンと鳴って終わる(鳴りゃしませんけど)。凄いのは、登場人物たち、なかんずく主人公エンジェルのキャラクターや行動様式が、いちいち「人間真実の理に叶っている」こと。「人間真実に叶っている」とは笠原和夫脚本の『博奕打ち 総長賭博』を三島由紀夫が誉めたときに使った表現だが、こう言うと、なにか≪人間の真実に叶った理≫なるものが初めからあって、誰かがそれを点検するもののような印象を与えるかもしれない。だがそうではない。一つ一つの芝居やエピソードにより造形されていく人物のキャラクターに、一貫した筋が見出せる、ということだ(少なくとも私の言分はそう)。

 彼女は、自分の夢と希望を素直に口にし、欲望に率直に行動することが正しいと確信している女性。自分自身の欲望の方向を、そうなるよう自分で仕向けて人格形成してきた人だとも言える。もちろん南海の孤島で生まれ育ったわけではないので、周囲の世間からそういう価値観を汲み取ってきたということだ。その意味で、頭の良い女性であることは間違いない。だが現実の世の中は、彼女が把握するところよりもう少し複雑だ。その一例が戦争に対する価値観の違い。彼女が汲み取った価値観は、戦争というものを忌み嫌い忌避する。それは確実にこの世の中に存在する価値観だ。しかし世の中というものは矛盾に満ち、正義を実現するためには立ち上がって戦わなければならないときがあり、そのためには犠牲も厭わない、という価値観もまた存在するのである。彼女の思い切りのよさは、ある意味、矛盾を受け入れることのできない無垢なままの子供の様な存在であることから来ている、とも言える。彼女は感情の赴くままに書くタイプであり、感情をコントロールできないから、戦時になると平和主義的傾向の露骨なものを書いてしまう。すると彼女の愛読者は、嫌な現実を忘れるために彼女のおとぎ世界に浸りたいので、彼女の作品から離れていく。彼女の女中でさえ、彼女の反戦・平和主義的態度を、反愛国的態度ないし愛国者への侮辱と捉えて仕事を辞めて去っていくくらいであるのに。

   ◇ ◇ ◇

 シャーロット・ランプリングが、チョット出なのに重要な役割、という役柄を持ち前の貫禄と合わせ見事に演じていた。「出版発行人の妻」である彼女は、エンジェルの作品を一つも評価しない。だが女としての生き方は認める、として、突然、旦那の発行人(サム・ニール)に「あなたまだ彼女のこと愛しているのでしょう?」と切り込む(旦那の方は「なんで君がそんなこと聞くのかわからない」とか言ってとぼけてたが)。この彼女とはもちろんエンジェルのことではない。極端に勘繰ればエンジェルとサムニールの間に肉体関係を想定することも可能だが、だったとしても古女房がこだわり続けるような「愛」には当らない。彼が結婚前に愛していた女性で、何らかの事情で断念し、今の結婚へと入ったが、想いだけは残っている、そういう夫婦関係が想定されていると想像したのだが、いかがか。

   ◇ ◇ ◇

 ちなみにエンジェルとアンジェリカの邂逅シーンは確かに女同士の対決シーンととることが可能だが、この対決での敗北が、彼女を死へ追い遣った、という訳ではない。エンジェルがアンジェリカに「あなたがアンジェリカ?」と聞いたとき、アンジェリカは、まさかエスメが、自分とたまに会っていたことまでアンジェリカに隠していたとは思わないから、「エスメから話には聞いていたアンジェリカが、あなたね」という程度の意味合いと受け止めた。だがエンジェルは、冒頭から映画を見ている観客にはわかるのだが、お屋敷の女中がお嬢様の名を呼んだことから彼女の名前を知っているのであって、「あなたが、あのお屋敷のお嬢様なの?」という意味で質問したのだ。

 つまりエンジェルは、旦那の浮気相手の愛人が、密愛を隠しとおしたつもりになっていることであろうから、決定的証拠を付きつけてやるくらいの勢いで乗り込んだ。それが、その愛人とはお屋敷の元お嬢様とわかったので、彼女にとって次にこんな展開になったとしても、まったく跳ね返す力がないというような状況に突如陥ったのである。「あなたは私のお屋敷を乗っ取ったつもりでいい気になっているかもしれないけど、私はあなたの最愛の旦那を奪ってやったわ! しかもあなたには子供がいないのに、私には彼の子供がいる! 彼の死んだ今、本当の勝者はどちらってことになるかしらね!? オホホホホ!」みたいな(←貧困な想像力が恥かしい)。

 だが目の前のアンジェリカは、自分がエスメと愛人関係だったことはあくまで隠し通そうとし、幼馴染の友達同士であると強調するばかりか、自分はエンジェルの作品の熱心な読者で全作読んでいる、そのエンジェルが自分のお屋敷の新しい主(あるじ)となって、今こうしてここにお招きできることが何より嬉しい、などと曰うのである。ここまでしてアンジェリカが守り通そうとしたものは何か?

 それは、優雅さ、貴族としての威厳、といったものだ。ことここに至っても、貴族なんて階級の連中には、そういうことの方が優先されるのである。もちろんエンジェルの知性はこのことを悟り、おそらくはそこに満ちている欺瞞まで見抜いただろう。だがこれは、彼女が憧れ、想像を巡らした≪貴族世界≫にはまったく予想されなかったものであり、それは結局のところ貴族について彼女は何も知らなかったと、思い知らされたことを意味する。この貴族的傲慢さとでも言えるものの得体の知れなさに彼女が畏れ慄いたことは、アンジェリカに「ご用向きは?」と聞かれ、決定的証拠として付きつけるつもりだった(←私の解釈だが)手紙を、おずおずと渡すシーンからもわかる。

 しかし、このとき画面を見ていたわれわれには、手紙を受け取ったアンジェリカ役の女優の方も、「ありがとう・・・」とは言いつつ、困惑してどう振る舞っていいかわからない、という演技をつけていたことが見てとれる。このときのアンジェリカの頭の中は疑問符だらけだったろう。「私たちの密愛がこの人にバレているわけはないのに・・・? もしや知っているのかしら? だとしたらいつどうして知ったのだろう? 知っていたのだとしたら、なぜ泣いたり喚いたりあるいは詰問したりせずに、静かに手紙を渡すのだろう? 彼女が知っていたのなら、私が今まで続けてきた芝居は茶番だわ・・・?」 そこでついエンジェルに向って「あなたは本当に知らなかったの・・・?」と口走ってしまったわけである。この「女の対決」、痛み分けと言っていいのではないか?

 エンジェルが自分を死へ追い遣るまでのショックを受けたのは、この直後にアンジェリカとエスメの間の子供を見たからである。その子供に、エスメの幻影を見たからである。自分が一度は身篭りながら、産むことのできなかった幻の子供の面影を、取り返しのつかない過ちを見止めたからである。彼女は、矛盾をやり過ごして平然と生きることのできない人間(性格)であるから、最終的には自分を死に至る病へと追い込むことしかできなかったのだ。それにしても最期に自分の名前を叫ぶとは、なんたる自己顕示欲の強さであろうか・・・! 幕。

   ◇ ◇ ◇

 結局のところ男の私には、この当りがよく分らないのだ。エンジェルのように自分を死へまで追い込む女性もそうはいないだろうが、別の女が産んだ子供に、愛した男の面影を見て、ショックに沈むことがあるのだろうか。自分に引き比べて考えるとして、例えば死んだ女房が、別の男との子を産んだことがあって、その子を男親が育てていたとして、まあ、その子が娘だったとする。そんな状況があったときに、その娘に亡き女房の面影を見て、沈痛な気持ちになるなんてことは、ちょっとあり得ないような気がするのである。これは男と女の違いではないだろうか?

 これが、女性の生き様を描いた女性映画とも言えるこの作品に対し、満点(★5)をつけられない理由である。素晴らしい作品だが、満点(と言っても私の採点慣例でいうと90点だが)をつけたら私の中の真実に対して不誠実となる。これが例えば、同じく女性を中心に描いた映画でも、1950年の『イブの総て』なんかだと、私はアン・バクスター演じるイブの強烈な野心を(賞賛はしないまでも)理解するので、★も5つつけられる。

85/100(08/05/05見) 

※ここまで長々とお読みくださりありがとうございます。もう一点付け加えると、エンジェルのような存在を社会が受容したことと裏表の関係として、私は「大衆の勃興」ということがあるのだと思います。この映画ではほとんど描かれないのですけど(一箇所だけ、エンジェルが「私は大衆が求めるものを書き与えるわ!」とか言うシーンがありました。長い不振の後、方針を変更するというか元の路線に戻すという宣言でした)、彼女が紙の上や現実社会で実現する夢や欲望を、自分の欲望の代理行為として消費し受容するという人々が、10人20人という単位でなく発生し、彼らの手元へ至る流通経路が整備され、言わばネットワークができた(横の繋がりまではなかなかなかったにしても)。彼女のようなキャラクター自体は(実在のモデルがいるのかどうか、いま知りませんが)、いつの時代にでも間欠泉が吹き上げるようにときどき誕生していたのではないかと思うのです。それまでは埋もれてしまったのでしょうが、時代背景が彼女(のようなキャラクター)に富みと名声を与えた。彼女の下を辞めたあの女中さんだって、家に帰ったら彼女の作品を読んでるかもしれないわけですよね。そんなことも考えさせられました。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)煽尼采

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