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[コメント] ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(2007/英=米)

「地球温暖化」が物語の(どうでもいい部分の)背景にあることを発見。そうだ、ハリーの魔法に頼めばいい。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 魔法界を暗黒支配から救った救世主、ハリー・ポッターに対する無条件の崇拝、尊敬、依怙贔屓と、観ている第3者もたじろぐほどの一方的に彼へ突きつけられる悪意の凄まじさ。このバランスの内に物語の紡がれるのが『ハリー・ポッター』の魅力であると考えてきたが、善と悪の一進一退の攻防の中に、ハリーや周囲の友人たちの成長の姿を描く、という構図にそろそろ行き詰りが生じてきたのではないか。

 暗黒時代の象徴であり、忌まわしい記憶の権化である「ヴォルデモート卿」が復活した。この事実から忌避したい、直視したくないという空気が魔法省の幹部を覆っている、という設定は、人間の(正確には魔法使いの、だが)弱さ・愚かさを巧みに抽出して秀逸だ、と思った。だが、だからと言ってハリーを魔法学校(ホグワーツ)から追放処分にしたり、査問にかけて有罪判決を下そうとする(失敗したが)のは、やり過ぎではないか。ハリーへの悪意は、それなりの根拠を持つ(と思われる)者が持つ、と描かれてきた(と思う)。なのに、特にそういう必然性のない者まで悪意を持つとすると、物語の軸がぶれてしまう。ハリーをある程度の困難に追い込まないと話の強弱がつけられない、ということから来る軸のぶれに思えるのだ。

 省略はあるにせよ、原作の大筋は損なわない作品、ということのようだから、映画を観ただけでは不可解に思えた点も、原作を読んでいれば納得がいくのかもしれない。だが私は、一つの映画作品である以上、映像で描かれる手掛かりがすべて、と考えるので、原作で説明されているからそれでよし、という立場は取らない。

 童心に帰って愉しめるファンタジーの中に、どす黒いダークさが潜む。加えて、毎回毎回、次作はどういう展開になるのだろう、という期待と楽しみがあった。だがもはや、同じような展開を繰り返すだけだろう、と思わされた今作品である。

75/100(07/12/22見)

(評価:★3)

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