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[コメント] 瞼の母(1962/日)

忠太郎と一般ヤクザの違い、あるいは忠太郎のメフィストフェレスは?
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 錦之助の演じるヤクザ・忠太郎。弁は立つ(として描かれているのだろう、よく聞き取れなかったけど)し、腕っ節は強いし、情は厚いしいなせだし(その上バクチも強いみたい)、かっこいいヤクザの典型という感じだったので、仮に母に会えたとしても、そのままヤクザを続けるつもりの人なのだろうと思って観てた。

 ところが、ラスト・シーン、母と妹が自分を探しに来たというのに、物影に潜んだまま出ていかない。何度考えてもこの理由が分からない。一つ確かなのは、忠太郎の中で、自分はもう堅気へは戻れない、ヤクザ者としてのポイント・オブ・ノー・リターンを越えてしまった、という認識があったことだ。だから、母妹の前に姿を現わしたかったけど、現わせなかったのだ、と。

 だとすると、彼が母親を探していたのは、堅気に戻るため、であったことになる。母のない自分だから、ヤクザにならざるを得なかった。だから母に会えば、晴れて堅気になれると思った。そのために母を捜していたのだ、と。それには、母が自分を息子として受け入れてくれる必要があったのだが、これを拒絶されてしまった。故に、もう堅気にはなれない自分、ヤクザとして生きていくしかない自分を、あらためて受け入れるしかなく、それでまた人を殺してしまったと。

 正確に言えば、母との面会直後、敵方に襲われるシーンと、それを生き延びた忠太郎の姿が挿入されるだけで、人を殺したかどうかは描かれていない。しかし、いずれにしてもこの間に、ポイント・オブ・ノー・リターンを越えた、ないしヤクザ界のメフィストフェレスに堅気の魂を売り渡した、そんな瞬間があったことは間違いなかろう。だって最前までは、母に会いたくて会いたくて、自分を息子として受け入れてほしくてしかたなかくて、そう振る舞ってたんだから。

 と、こう考えてみても、やっぱり疑問が残る。彼は、母と会うはるか前から、人を何人も殺してる(これは映画の中で描かれる)。他にも、ヤクザとして、堅気の道に外れたことを、たくさんしてきたことだろう。それでも、メフィストフェレスに魂は売り渡してなかった(母に会えば堅気になれると思ってた)のだから、あれしきのことで(って、何も描かれないから、どれほどのことだかは分からないのだけど)堅気に戻れなくなる、ってことはないと思うのだけれど。

 もっとも、堅気になるつもりなんかハナからなかったってんなら、物影になんぞ潜んでないで堂々と姿をさらしゃいい。さっきだってさらしてきたばっかなんだから。

60/100(04/05/22見)

(評価:★2)

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