コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] セックスと嘘とビデオテープ(1989/米)

ビデオを通して投げかけられる、あられもない視線の交わり。
カズ山さん

人と人が対面で話をするさい、相手の顔をジッと見つめ続けるのはまれなことだ。 たいてい、相手の顔にチラッと短時間の視線が何度か向けられることで、対面での視線のやりとりは成立している。

だが相手と直接対面せず、ビデオがとらえた相手をモニター上に見るとき、人は対面の時には考えられなかった、あられもない視線を相手の顔に向けることができるという。(※)

すでに対面では、向かい合った相手に何ものをも媒介できなくなった現代人たち。そんな現代人たちは、ビデオというメディア(媒体)が作り出すあられもなく、そして明け透けな視線によって、新しい関係を作り出す。

あらゆるチャネルを喪失し、交信不能に陥ってしまった人たちが、ビデオという新しいツールによって変化をうながされる。これはそんなお話。

(※) アメリカのメディア・アーティスト、ミト・ミトロプロスが1985年に発表した作品に「 Face to Face 1」というビデオ・インスタレーションがある。これは背中合わせに座った二人の前にビデオカメラとモニターが設置され、それぞれが互いの顔をビデオカメラが撮影した画像としてモニター上に見て対面するという、極めて単純な仕組みの作品だ。 だが、この単純な仕組みにもかかわらず、この作品を体験した人は、そこで味わう奇妙な感覚に戸惑を感じてしまう。というのも、モニターに映った相手と対面し会話すると、直接の対面時には感じていた相手との間の障壁感、もしくはある種の心理的な抑制というものをまったく感じることが無くなり、モニター上の相手の顔を、まるで何かの見せ物のようにジロジロと眺めることに躊躇することが無くなってしまうからなのだ。向かい合わせなのか背中合わせなのか、その物理的な距離ではあまり違いが無いにもかかわらず、その間に「ビデオ」という媒体、つまりメディアを挟んだだけで、人間はまったく違うマインドセットになってしまう。このビデオ・インスタレーションは、メディアの存在が人間の根源の部分に深い影響を与えているという事実を、端的に教えてくれる。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。