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[コメント] ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(2001/米)

何食わぬ顔をした完璧主義者が描く、悪人のいない世界に生きるとっぴな人々のありふれた傷と癒し。と来れば、嫌味すれすれなのは間違いないのだが、(2011.10.3)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 なんだろう、この映画のおもしろさというのは。たとえば、「コルトレーン」だったか、そんな呼びかけをジーン・ハックマンがニタニタと口にして、「座れ、と言ったんだ!!」とダニー・グローヴァーを怒鳴らせるシーン。うっかりすると、NHK-BSの名画名場面特選あたりで流される、語り継がれるべきヒューマンなシーンと見間違えてもよさそうな気もするが、同時に、なんだかやたらと間の抜けたシーンでもあるのだ。実際、「ケンカしてるの?」とアンジェリカ・ヒューストンに見咎められて、ダニー・グローヴァーがモゴモゴと口ごもるさまなんか笑うしかない(ちなみに、ここは、穴に落ちる瞬間、ネクタイをひっかけたまま眼鏡をかける瞬間と並んで、三大「ダニー・グローヴァーがかわいい瞬間」であろう)。

 この二人で言えば、旅館の女将みたいな人が応対に出てくる、胡散臭い日本大使館へと走りながら交す会話もいい。「きみは asshole なんかじゃない、son of a bitch なんだよ」。字幕ではたしか「ろくでなし」と「悪たれ」と訳し分けられていたと思うが、たぶん、"asshole"というのは「関わるだけまったく無駄な人間」、"son of a bitch"というのは「関わるのがどうしようもなく面倒な野郎」ということなのだろう。この違いは大切。

 わかりやすいおもしろさでいえば、なんといっても、歩道橋の上でのワンカットの最後に、向かいのビルの屋上に探偵の姿が映り、彼の事務所でビル・マーレイたちが読まされる報告書の中身を音楽に乗せてモンタージュ、音楽中断とともに報告書がゆっくり閉じられる、というあたりの、唐突さと滑らかさとが同居するような独特のテンポ。それでいて、笑わされた直後に待つのは、ルーク・ウィルソンの自殺未遂だ。髪を切りひげを剃り終えて「明日死のう」と口にした次の瞬間、ひげを剃る前の自分の顔がフラッシュ・バックで過ぎり、無数のフラッシュバックが押し寄せるあいだに両腕に剃刀を走らせる。一本の映画のなかで、それどころかこれほど短い場面のあいだに、フラッシュ・バックという映像表現の持つ幅の広さを教えられる。そして、まるでクレイ・アニーメーションかなにかのように流れ出る血。ついでに言えば、この次の病院の場面での、搬送ベッドを押して走るビル・マーレイのつまらなそうな(?)表情がまたよい。

 ところで、ようやくテーマっぽい部分の話をすると、校正までお願いしていた墓の碑文「沈み行く軍艦から家族を救い死を遂げた」。「家族」(というより「父」か)と「ほら話」という組み合わせは、『ビッグ・フィッシュ』とも通ずる。「沈み行く軍艦」がすぐさま「一家」のメタファーと読めてしまう意味では、寓意が前に出過ぎているとも受け取れるところだ。しかし、その碑文に目を止めるのが、結婚式場で階段を転げ落ちた神父であるように、この映画のおもしろさは、「家族」という言葉が、普通に思い描かれるよりもずっと伸縮自在なイメージで立ち現れているそのことにあるだろう。だから、私としては、ハックマンが運ばれる救急車のシーン、ただ一人死を看取ったと語られる長男役ベン・スティラーの泣き顔よりも、担架の脇に身を伏せているダルメシアンの背中のほうが正直気になった。

 実際、犬好きとしては、「犬」の描かれ方に興味が行く映画。もちろん、ネズミ、タカ(時折、どこからか鳴き声が聞こえる)と動物に出番の多い映画ではあるけれども、これはやっぱり一番に犬の映画だ。その証拠に、背景で通行人が犬を連れているその姿までやたらと丁寧に撮られている(「何食わぬ顔をした完璧主義者」という私の感想は、この「犬と散歩する通行人」のカメラへの収め方に捧げられていると考え頂いてもけっこう、とまでは言わないけど)。

 もちろん、この関心から避けて通れないのは、死の悲しみにくれる間もないままに口に出される「新しい犬を買ってやった」という、いわば「やさしい心遣い」を示すセリフの残酷さである(おまけに、その直前ハックマンは「血統書」云々なんていう会話を交わしている)。しかし、それを言えば、一見笑えてしまう、避難訓練で犬が置いていかれてしまう序盤のシーン(「手遅れだ!」)にも同じくらいの残酷さはあるし、もっとあからさまには、闘犬場の場面があったわけであり(争っている犬たちの姿は映されず、嬉々とのぞき込む人々のショットだけが繰り返されるが、家に帰ってきた孫の顔に血が飛び散っている)、些細なところでいえば、ハックマンが、出会ったばかりの犬に二度とも「お座り」をさせるのも気にかかる。

 この犬に対する苛酷さ(とまで評するのはそれこそ苛酷かもしれないけれど)が何を意図されてのものなのか、正直、とくに答えを出したことがない。ひとまず、老犬の死をありきたりの寓意に回収させないなにか、とは言っていいのかもしれない。とりあえず言えるのは、この映画の描くのは、悪人のいない世界だが、決してきれいごとで作られている世界ではない、ということだろう。圧倒的に巧い映画だけれど、その巧さは決して、ひたすら心地よく乗せる、というような御丁寧さとはたぶん関係がないはずだ。

 ただそれでも、個人的な好みを言えば、『天才マックスの世界』『ライフ・アクアティック』のウェス・アンダーソン監督に、もっと"asshole"すれすれなほどに"son of a bitch"な危なっかしい魅力と気迫を感じる。たとえば一点だけ挙げるなら、架空の伝記(小説?)という本作の設定は、冒頭の貸し出し場面や各章の始めの場面の確固とした存在感に比べて、さして気にせずに見終えてしまえる、という意味では、成功し過ぎているか、それゆえにまたあまり成功していないのではないだろうか(「本が語っている」と言わんばかりの胡散臭さを感じさせつつしっかり引き込んでいくようなアレック・ボールドウィンのナレーションは巧いと思うが)。

(評価:★4)

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