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[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)

2つのハードル。誰と見るか。(長くてすみません)→
ぱーこ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ほとんど30年ぶりに見た。前回見たときのことはほとんど憶えていない。フランケンシュタインのシーンは微かに憶えている。ものすごく静かな映画で緊張感がずっと続いて画面がすごくきれいで繊細だった。そんな印象。でも自分はこういうのが見たかったんだ!という感想は持たなかった。『コレクター』なんかは、モウコレハジブンノタメノ映画ダ!と間違いなく言えた。そういう映画ではなかった。

それでも名だたる映画評論家や文化人などが、賞賛しているのを読んだりすると、自分は程度が低い人間みたいな気がしておもしろくない。おつき合いで見るけど、何か釈然としない。映画を見ること以外のくだらない自尊心や自意識を刺激されて、ちょっと評価に困る状態になる。

第1のハードルがここにある。映画と自分がまっさらの状態で出会うんじゃなくて、余分なものがついて回る。それを全消去したいんだけど、そういうわけにはいかない。シネスケの場合、名だたるコメンターの方々のコメントを読んだりreviewをみたりする。それぞれの方がどのように映画を見ているか、その他のコメントを読んだりして知っている。コメントからうかがえる人柄に賛同して、自分の味方になってくれるような感じを勝手に抱いたりする。同じような感想を抱けないと少し寂しい。でも仕方がないんだけど。仲のいい友人と意見が違うと気まずいというか。自分が(勝手に)信頼している人がこれだけ言うんだから、面白くなかったら申し訳ない、というか。 で、まあともかく自分がどう感じるかが一番の大切な問題なんだ、とそう言う姿勢で臨む(これもちょっと無理ある態度だけど)

今回は200人ほど入る小さな講堂を占拠してビデオ版をみた。開始の少し前に、訪問者があった。今いる学校がうまく行かなくて転校したい、という高校生女子。彼女は一生懸命礼儀正しく振る舞っていたけど、どうも自分と回りがしっくりいっていないみたいだった。学校を案内して、上映チェックのため少し始めの方を見ることにした。講堂を真っ暗にして(非常灯なんかも消しちゃう)真ん中の席に一人だけ座って手を前に合わせて見ていた。

オープニングの子供が描くイラストのタイトルバック(色彩がやはりスペインって感じがする)から、映画がやってくるシーンになる。フランケンシュタインだ。印象的な紹介のあといよいよ映画が始まると思っていると、蜂を避けるために網マスクをしている男のアップになる。このカット進行にどきりとする。私は操作番の前で14インチのモニターをチェックしている。真っ暗な中で一人見ている彼女の顔がスクリーンの反映で薄白く輝いている。 もう真剣に見入っているようなのだ。私もなんだかぞくぞくしてこれはとんでもない映画だ、と思う。その後手紙を書いているシーンになる。そこが終わったところで止めた。暗い室内灯だけつけて、彼女を送り出した。この後用事があって約束の時間がせまっていたのだ。彼女は無言で小さくお辞儀をして帰っていった。 状況説明をいっさい排除して、淡々と日常を撮っているようで、その背後にいちいち深い意味が隠されている進行。謎が多すぎる。それ加えてそれぞれのカットがヨーロッパの素朴な名画のような印象。これは期待を裏切らないぞ!

予定された上映の時間になった。「名作」の宣伝が効いたのか、同僚の教員が3人ほど参加した。上映が終わって3人の同僚(40前後の女性・教科は国語と英語)は「どうも難しい映画だったわね」といった風に首を傾げながら無言で出ていった。そのうちの1人の方は私の斜め前に座っていた。上映中、肩を揺すったり首をひねったりしていた。それが私の気になった。イサベルが(死んだ)シーンではじっとしていたから、私としては彼女の動きに映画に対する反応を感じてしまうわけだった。

私の感想はこうだ。 ハリウッドの映画のように、あるいはディズニーランドのアトラクションのように、ドラマの意味が至れり尽くせりで示されていない。これが第2のハードル。こちらから積極的に意味をつけていかないと映画の中に入りにくい。画面は充分きれいですばらしいから見ているのは苦痛ではない。だけど、映画は相手のペースで進行する。美術館で自分のペースで絵を見て回るようにいかないから、小さな不満はつのる。みなさんのコメントを読んで、納得することは多かったし、謎のいくつかは解明された。だけど、映画を見ているときは思いつかなかった。

イメージの連鎖はすばらしい。例を挙げると、フランケンシュタイン−イザベルの(死)ードン・ホセの解剖人体−廃屋の逃亡者ー家出したアナの幻想シーン。それでも意味が立ち現れてこない、いらだちが睡魔を呼んだりした。イサベルが猫にやられて血を出す前後で意識を少しの時間失っていた。きれいなモノを見せてもらったけど、体の中に澱のように沈殿した未解決の謎が残る。『青いパパイヤの香り』もそんな印象の映画だったが、『ミツバチのささやき』の方が意味をもとめてうずく度合いが強かった。一人の感想にこうあった。「帰りの電車の中で思い出したい映画だった」この生徒も無言で感想文を提出して帰った。私もほぼ同感である。

私は内容がない人間だから、一緒にいる人に影響される。試しに上映した彼女とガランとした中で見たらきっと印象は変わっていたかも知れない。シネスケのコメンテータの方たちと一緒に見たら、きっと今の何倍も楽しめたと思いました。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (19 人)jollyjoker[*] 浅草12階の幽霊 グラント・リー・バッファロー[*] コマネチ[*] 甘崎庵[*] kawa[*] まちゃ ネギミソ[*] のこのこ tat ジャイアント白田[*] tredair[*] ペペロンチーノ[*] ピロちゃんきゅ〜[*] ALPACA[*] トシ sawa:38[*] アルシュ[*] ボイス母[*]

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