[コメント] 欲望という名の電車(1951/米)
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女優が老醜を晒す。あの可憐で華奢でありながら力強く、美しかったスカーレットが強烈なライトの中で顔のしわを克明にカメラ前に晒し、狂ったまなざしで台詞を言う。
こんな恐ろしい映画は「サイコ」以来。 目がくぎ付けで離せない。
この閉鎖的な作り物っぽい空間の中で、濃密に人物像が語られていく。 南部の熱い湿度の高い空気すら感じさせる濃厚な画面。 その背後に広がる登場人物の人生の風景。
南部のプランテーションにある、お城のような生家。そこでは豪奢な社交生活やヨーロッパ直伝の生活様式がかつてはあった筈。 その残光にすがるようにして生きてきた姉と、野獣のような青年に魅かれて「普通のアメリカ人」としての生活に飛び込んでいった妹。 この人生の対比の見事さ。
姉が欲しかったのはひざまずいて自分に恋を告白してくれるような男性。 自分を一生守り、自分を愛すと誓ってくれる男性(王子様)であったはず。
しかし、彼女は自身の傲慢さゆえに自分の一生の愛を壊してしまった。 そこから始まる人生の転落。
妹は夫と色電球の下で毎晩セックスにあけくれ、自分の新婚生活を謳歌している。 夫に殴られようとも、その甘い夜の吐息や抱きしめられたときの匂いを思い出せば体が疼いてついつい彼を許してしまう。 そんな浅ましいとも思える若い女の愚かさ。
しかし、姉は自分自身への復習。因習や家風に捕らわれていた自分自身を罰するかのように次々に男に体を開いてゆく。心はロマンチックな乙女のままで。
古い屋敷には血だらけの枕カバー。 因習の権化のような気位ばかりが高い老女たち。 男を求め、セックスの中でしか自分の安楽を得られなかった姉は同時に自分自身の崩壊に立ち向かわねばならない。
本当は王女サマのままでいたかったのに。
これは。女性なら普遍的に持ち合わせていると思われる部分でもある。 誰かに大事にしてもらいたい。誰かに自分を守ってもらいたい(私みたいなオバサンですら、「夫に守ってもらっている」という部分が実はあるのだ!)
だからこそ、この物語は普遍性を持った。 「このいい年して小娘みたいなババアはなんだよ!?」という妹の夫の気持ちも理解できるし、姉の気持ちも、妹の気持ちも理解できる。
この緻密な脚本と人物の造形、画面の設計、演技が見事に合わさり、この映画は時に侵食されない、不朽の名作となった。
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