[コメント] キリマンジャロの雪(1952/米)
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シンシアは猟銃で獲物を撃てない女。リズは「男の狩猟本能をかき立てる」女。ヘレンは自ら獲物を撃つ腕前のある女。
物語の中で狩りは執筆の暗喩にもなっている。シンシアとは、作家としての衝動に任せての旅に耽るハリーのせいで別れを迎える。その別れの直前に彼女の為に戦場の取材を断っていたハリーは、リズを捨ててシンシアを探しに訪れた土地で、どういう経緯なのか戦争に従軍していて、狩りの時のように銃を構えている。その戦場で偶然にシンシアと再会したハリーは、担架で運ばれる彼女を追おうとしたせいで逃亡兵と見なされて足を撃たれる。こうした思い出を回想するハリーがアフリカで足が壊死しかけている原因は明確にされてはいないが、話の構成から言えばやはり、過去にシンシアを追って撃たれた事が、象徴的な意味での原因になるのだろうか。
処女作を書き上げた際に受け取った金で、シンシアと共にアフリカを旅した時が、最も幸福だった――という事はつまり、作家として富と名声を得た後ではなく、それを目指して努力していた頃が最も幸せだった、という事でもある。ハリーが成功した事と、シンシアが死ぬ事とは、殆ど不可分という事になる。
死に瀕したハリーを夜を徹して看病していたらしいヘレンは、朝、彼を救う飛行機が間に合ったのを見てテントから出て行くが、その時、彼女自身もなぜか足を引き摺っている。これは彼女が、ハリーと共に死と闘った同志となった事を示しているのだろう。原作と同じくこの映画でも彼女は、その経済力でハリーを囲い込んで腐らせた存在として描かれているが、その事は、動けないハリーに代わって一人で狩りに出る、という行為にも表れていた。だが最後には、シンシアとハリーの思い出の地であるアフリカ土着の呪術師を追い出し、自らの信じる治療法として彼の膿みを切開し、ハリーの死を告げに来たかのようなハイエナにも気づいて、悲鳴を上げて追い払う。最初はシンシアと間違われていたに過ぎない彼女が、本当にハリーの生を支える女になった訳だ。
とはいえ、こうした明確な構造を物語に与える事で、原作にあった風味が失われて、分かり易いメロドラマに堕したという印象が拭えない。原作の冒頭に置かれていた、氷山の豹についての記述が、人生についての謎かけとして使われているのも、却ってその巧さが鼻につく。キリマンジャロの雪、という題名にも表れている、作家の生の峻厳さは、特にラストの改変によって完全に失われてしまった。
どちらかと言えば会話主体の「聞く」映画で、画的な面白味には欠ける面があるが、終盤のハイエナの暗躍(?)は割に印象的だった。単に僕がハイエナ好きだからかも知れないが。
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