[コメント] スター・ウォーズ(1977/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
壮大なスター・ウォーズ・サーガの幕開けの作品。登場は一番早いが、物語としては第四話に当たる。空前の大ヒット作であり、勿論1977年全米興行成績は1位。日本でも大ヒットを飛ばし、以降全てのSF映画に影響を与えた、映画史上燦然と輝く作品。 残念ながら僻地住まいの私が本作を初めて観たのはTVだったが、それだけで思い切りはまってしまった。私にとっても何かと思い出深い作品である。
これに関して何かを書くと言うことは、はっきり言って私にはちょっと無理というか、書きたいことがあまりにも多すぎて何を書くか迷ってしまう作品であり、まとまりが無くなってしまいそうだ。
だからここではいつか又書き直すことを前提に、この作品が映画史に与えた影響を中心に書いていこう。
本作が投入された1977年はハリウッドにとっては丁度低迷期に当たる。これまで約10年にわたって続いてきたニューシネマも一段落。転換期にあたり何を出せば当たるのか全く分からず、模索状態が始まっていた。この年にそれまで全く作られたことの無かったタイプの作品『サタデー・ナイト・フィーバー』であれ『アニー・ホール』が出ているのは偶然ではない。この年がハリウッドの大きな転換期にあったのである。 そしてその転換を最も如実に示したのこそが本作であったのである。
本作を最も端的に言えば、「ありがちなSF作品」である。事実、この物語の一つ一つに関して言えば、かつてどこかに観たような物語ばかりである。物語そのものは単純で1930年代の連続活劇を元に、中世の騎士物語を絡めたもの。ここにルーカス監督が大好きだった日本の時代劇(特に『七人の侍』(1954)と『隠し砦の三悪人』(1958)の影響が強い)をミックスさせたもの。最後のデス・スター攻撃場面は『暁の出撃』のダム襲撃シーンをモデルとする。
ただし、だからといって本作が単純に過ぎるか?と言われれば、全然違う。実は本作は一貫したある思想に裏打ちされている。
物語を単純とならしめている、ありがちなものとならしめているのは、実はそれが人間にとっては根源的な「神話」から取っているからである。実際この作品のお陰で私はジョセフ=キャンベルという神話学の作者と出会うことが出来、その著書を読んで、この作品の単純さは実は英雄の条件の思想が強く意味を持っていることを知るに至ったのだ。
この単純さこそが実は最も人間の心を打つのである。本作が大ヒットした理由は本当に「奥深い単純さ」にこそあったのである。
思えば、ニューシネマ全盛時代は単純さは嫌われる傾向にあった。ニューシネマは人間の信条に入り込む作品が多く、それ故観念的な複雑さに満ちているものが多い。70年代前半は玄人受けする作品が一般でも受け入れられたという、実に面白い時代でもあった。
しかし、観客が最も求めていたのは、そういう複雑さではなかったのである。いや、そう言うのも受け入れるが、やはりスカッとする映画も観たい。と思うのが人情だろう。
それにあつらえたように投入されたのが本作だったのだ。時代を見事に捉えた投入だったといえるだろう。
だが勿論それは後年だからこそ言えることであり、その渦中にあっては大冒険に他ならなかった。
当初ルーカスはこの脚本をユニヴァーサルに持って行った。かつて『アメリカン・グラフィティ』(1973)でのヒットがあり、それなりに自信を持っていたようだが、題材がSFと言うことで、ユニヴァーサル上層部によってこの企画を蹴られてしまう。これを拾ったのが20世紀FOXのアラン=ラッド社長だった。だがそれは実はコッポラとの顔つなぎのためであり、とりあえず好きに作らせて様子を見ようというものだった。
事実この作品でルーカスは脚本料5万ドル、監督料10万ドルしかもらっていない。破格も破格の安さだった。しかも製作費そのものは1250万ドルに過ぎない(当初の予算は850万ドルだったが、内訳は脚本5万。製作者、監督、出演者に75万。カメラ、編集、録音のスタッフに210万、ミニチュアモデル制作に210万。その中で音楽にかけられた費用は10万ドルに過ぎない)。劣悪な環境の中、それでも新開発のカメラ技術をふんだんに用い、そちらの予算をなんとか取れたのが強みではあった。尚、製作費はなんと公開初日で軽くクリアしてしまう。
前述の通りルーカスはほとんど破格の低収入で監督をすることになったのだが、ただ一つ大きな強みがあった。実はどうせ当たるはずはないと高をくくっていた20世紀FOXから映画収益の40%および音楽とマーチャルダイジングからの配当を受け取るという契約を交わしていたのである。つまり、映画収益の半分近くはルーカスのポケットマネーとなり、更に玩具の独占販売が可能だったと言うこと…これがどれだけの意味を持つかは言うまでもない。
お陰でルーカスは無事に次のエピソード『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980)の製作にこぎ着け、更にルーカス・フィルムという独自のスタジオを作るまでに至るのである。更に最低限に抑えられた出演者のギャラもルーカスは利益のパーセンテージを出演者に還元したという。結果的にルーカスの一人勝ちとなってしまった。
ただし、本作の撮影には相当の苦労があった。何せ予算が少ない上、SFXの方にかなりの金額が取られてしまい、そのしわ寄せはスタッフとキャストがかぶることになる。フィルムと時間が勿体ないという理由でほとんどリハーサルもなし。惑星タトゥーインの舞台となったチュニジアの砂漠でロケでスタッフは次々と倒れ、監督のルーカスまでもがが胃痛と不眠症から発病してしまう。その後イギリスでの撮影では強力なライトを使用する都合上、熱で倒れる人が続発。チューバッカ役のピーター=メイヒューは重度の脱水症状になる。等々、苦労話には枚挙にいとまがない。
しかしこんな低予算の中だからこそ、若い才能が集まった。ロゴ・デザインを担当したダン=ペリは以降名タイトルメーカーとしてハリウッドの重鎮となり、柔道着をベースとした衣装という奇抜なデザインで驚かせたデザイナー、ジョン=モロ(オスカー受賞)は元々が軍服の専門家だったという。これまで嫌われていたカメラに機械的動作を取り入れる手法も本作が始まり(本作で威力を発揮したのはダイクストラフレックスというカメラシステムで、カメラの動きをコンピュータにインプットし、同じ動きを正確に繰り返すというもの。本作がディジタル時代の幕開けとなった)。
それともう一つ。本作で主人公じゃないのに主人公以上に活躍ぶりを見せたハリソン=フォードに人気が集中。既に遅咲きではあったが、このブレイクこそがハリウッドスター、フォード伝説の始まりだったわけだが、この幸運にあずかるにはかなりの苦労があったとか。
フォードはルーカスの前作『アメリカン・グラフィティ』で不良役で登場しているが、ルーカスがそこで使った俳優は使わないと公言していたため、フォードはなんとかオーディションにこぎ着けるため、当時本職だった大工としてコッポラのスタジオに潜り込んで、偶然を装ってルーカスに近寄り、そこで売り込んでオーディションにこぎ着けたという。だが、どうせ受からないとふてくされた演技をしたところ、これがハン=ソロのイメージぴったりだったと言うことで採用。色々な意味で幸運だったのだが、運を強引に自分に引き寄せるフォードの努力が実ったと言うべきか…
尚、本作公開時はルーカス監督は評価が怖くてハワイへと逃亡していたという面白いエピソードもある。よほど自信が無かったのと、評論家から酷評される現場にいたくなかったらしい。この際、友人のスピルバーグも同行しており、このハワイでの話し合いから『インディジョーズ』のヒントを得たという。
…おかしいな。なんでこんなに長くなったんだ?
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