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[コメント] 巴里の屋根の下(1930/仏)
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★3最初、チャップリンのトーキーかと思った。クレールは撮影方法、演出を駆使しているというより試みにいろいろ試しているように見える。物語展開のマノビが、気になる。主題歌だけの映画というと言い過ぎか。 (KEI)[投票]
★3大雨から一転、遠い歌声が重なる屋根の煙突群から階下の群衆の合唱へ至る音の立体設計。さらに、酒場の喧騒やガラス扉、列車の汽笛に遮られて聴こえない会話や乱闘の騒音。「見せない」と同じぐらい「聞かせない」ことの演出効果を痛感するトーキー黎明期の意欲作。 (ぽんしゅう)[投票(2)]
★2クレーンを使って高低をしっかりと見せたキャメラワークと時折入る思い切った寄りの撮影にはやや興味が湧いたが、サイレント映画とトーキー映画のまだら模様の演出が不快だった。共感できない登場人物ばかりでは関心の持続のしようがない。 (ジェリー)[投票]
★4最近、この主題歌が通信カラオケにあるのを発見。でも意外に難しかったです。 [review] (りかちゅ)[投票]
★4トーキー1作目とは分からぬほどの見事な音使いはさすがにルネ・クレール。何より1930年の時点で、映画というものがこれほどまでに完成していたという事実に驚かざるを得ない。巴里の街並みのセットや、石畳と足と影だけで魅せるショットも素晴らしい。 (ナム太郎)[投票]
★4ラザール・メールソンのセットとそこに住まう人を、クレーンで舐めるように写される巴里がたまらない。街の住人に混ざって歌いたくなった。 [review] (Kavalier)[投票]
★4感覚が実に新しい。トーキー出発点の映画とは到底思えない。その音の使い方は今見ても新鮮な驚きに満ちている。また、巴里の屋根の煙突、白壁、沢山の窓、粗い舗装の路等々美術・装置の人間的なこと!この映画の画面的な見所はなんと云ってもラザール・メールソンが作り上げた美術・装置だろう。 (ゑぎ)[投票(1)]
★3それでも憎めない映画だ。 (buzz)[投票]
★4あのオープニングの、徐々に人物に近づくに連れて大きくなる音楽。「これがサイレントとトーキーの違いなのかぁ」と、映画には映画としての音楽の使い方があることを知った。 (タモリ)[投票]
★5あの歌私も歌いたい。 (tomcot)[投票(2)]
★3現実のパリであろうが、亡命外国人美術監督によって作られたパリであろうが、そんなことはどっちでもいいですね。せつない映画です。 (動物園のクマ)[投票]
★3音を得た喜びが、音の洪水にならなかったのはエライ。音有り/音無しのリズムがお見事。 (黒魔羅)[投票(1)]
★4音をいかに使用すれば最も効果的なのかを、トーキー1作目にして(なぜか)すでに知り尽くしていただなんて。ルネ・クレールときたらなんてハイセンスな天才なんでしょ。 (tredair)[投票(3)]
★3どこか日本の人情劇と相通ずるものがある・・・気がする (YO--CHAN)[投票]