[コメント] エッシャー通りの赤いポスト(2020/日)
オーディションに志願しエキストラとして集う者たちが主役だ。無数の無名者たちの表現欲望によって支えられているのが「映画」であり、欲望とは生きていることの証しなのだから、他者であれ自身によってであれ制限された欲望表現など、さらなる欲求不満を生むだけだ。
そんな園子温の真摯なジレンマによってひり出された排泄物のような真面目な映画だ。演出だろうか、実録だろうか。どうやって撮ったのだろう。自主制作映画(=純粋表現欲望)の“魂”が凝縮されたラストシーンが爽快だ。たとえ青臭い奴だと小馬鹿にされようとも私は、この反骨の結末が大好きだ。
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