コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 007/ノー・タイム・トゥ・ダイ(2021/英=米)

「らしさ」と「らしくなさ」のせめぎあい。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







5本のクレイグ・ボンドのシリーズは、徹底的に生身のジェームズ・ボンドを描く、ということを方針にかかげ、ストーリーも5本通してつながりがあり、5本全体としての風格みたいなものがあって、とても良かった。レナ・セドゥとは幸せな生活を送って欲しいと『スペクター』を観た時に思っていたので、今回の終わり方は「生身の人間」ということはこうなんだよな、という意味で納得。と同時に終盤のアクションシークエンスが冒頭のアクションシークエンスより落ちるというのも一貫してた。。。ここだけは本当に不満。クレイグ・ボンドはシリーズとしては良かったのに、ひとつも5点をつけた作品がなかった。

007シリーズの良いところは、時代の変化にあわせて自己模倣をせずに、次々と新しい見せ方にチャレンジしてきたことだと思う。コネリーの後にムーアという思い切ったキャスティングの転換(というか見た目の転換)などは、日本人のような変化を望まない気質の文化からは絶対生まれなかっただろうし、ということは日本だったら007シリーズはコネリーの降板でもってとっくに終了していたわけだ。(そういった意味で言うと、私はブロスナン・ボンドが一番好きじゃないのだが、あのシリーズはまさにその自己模倣をやっていたからだ。なにせブロスナン自身ラークのCMで「007みたいな男」というパロディを演じていたのだし、近年の007シリーズではモンティ・ノーマンの007のテーマを一番流していたし、王道復古という明確なコンセプトがあったのだろう)。

007が長い時代を通して生き残っているのは、今回のような「不死身の男」というコンセプトすらひっくり返す勇気の産物だ。常に「らしくなさ」を貫いてきたともいえる。と、同時にアナ・デ・アルマスをバディに演じたサンディエゴでのミッションやマテーラのカーチェイスなんかの「007らしい」シークエンスがやっぱり一番楽しいわけで。礼装に着替えるために、アナ・デ・アルマスに小部屋に誘われるところで「君の部屋?」というジョークに対し「ワインセラーなのよ」とまともに返すやりとりなんかのしゃれっ気なんか「これこれ!」と、喜んでしまった。

結局「らしさ」が好きで見に行くわけだけど、らしさだけなら続けられない。作るたびにファンを怒らせ批評されながら、でも見てしまうエヴァンゲリオンみたいな、らしさとらしくなさのせめぎあいこそが重要なんだと思った。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (9 人)ロープブレーク[*] けにろん[*] ぽんしゅう[*] プロキオン14[*] ジェリー[*] セント[*] たろ[*] サイモン64[*] ゑぎ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。