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[コメント] 葛城事件(2016/日)
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★4何かを掛け違えたまま年月が経ち狂いが増幅された時にもう取り返しはつかない。個々には皆悪くないのに…などと映画は口が裂けても言う気ない。何奴も此奴も救い難く駄目人間だと細緻リアリズムを塗して叩き付ける。聞きたくない正論。友和は主演賞もの。 (けにろん)[投票(4)]
★4人間が人間に無茶な要求をするクソ加減の表現が秀逸。しかしクソ人間でもひとは他人を求め続ける。☆4.0点。 [review] (死ぬまでシネマ)[投票(2)]
★2こうなるともう、本当に殺したい人は殺せない。自分を殺すか、まったく知らない他人を殺すかだ。 [review] (Shrewd Fellow)[投票(2)]
★5家族の形を一歩踏み外してしまえばどこにでもあり得る話。日本の古い伝統的な父親像。最近は煙たがられてますが、それで良かったなって思う。 [review] (deenity)[投票(2)]
★3このような悲惨な顛末を全て家族という小さな共同体で完結させろ、そして周りに影響(迷惑)及ぼすなっていうのはムリな話しであって、そんな事は皆薄々解っておきながら誰も異を唱えずに日々ニュースとしてあらまぁと消費する。 [review] (クワドラAS)[投票(1)]
★4作中人物の造型も、言動も、挿話も、あるいはたとえば「シーンの不幸を食卓風景の貧しさで表す」といった演出イディオムも、私たちはそれらをすでに映画なり週刊紙なり井戸端なりを通じてよく見/聞き知っている。類型的である。とは云え芸もなく類型に類型を重ね続けた類型の累計は確かにド迫力である。 (3819695)[投票(1)]
★4男は壁に書かれた落書きを消している。一戸建てのマイホーム。一見普通の家に見える。何故こうなったのだろう、彼は考える。 [review] (セント)[投票(1)]
★4三浦友和以外になり得ないあの呪わしき定常が死すらも克服して彼を再び日常へ組み込むとき、相貌も込みで現れるのは一種のベニチオ・デル・トロ映画のような無常のダンディズムである。 (disjunctive)[投票]
★5団塊のお父さん [review] (R62号)[投票]
★3この家族、会話しているが噛み合っていない。遣り取りが常にちぐはぐ。それもこれもモンスターのような父親のせい。三浦友和の怪演もさることながら、南果歩の壊れっぷりが痛い。 (IN4MATION)[投票]
★3死刑制度に逃避するように、国家という他者に「絶望」の幕引きをゆだねることで自我の消滅をたくらむ稔(若葉竜也)と、妄信的に死刑制度を否定することで「絶望」から逃れ自我を確立しようとする順子(田中麗奈)は、共に存在への不安を抱えたコインの表裏。 [review] (ぽんしゅう)[投票]