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[コメント] 子供の情景(2007/イラン)

傑作。少女の受難を描く筆の厳しさは父親よりもキアロスタミブレッソンを連想させる。むろんその両名を引き合いに出すにはアップカット及び音楽の使用法に認められるストイシズムの不徹底ぶりが引っ掛かるのだが、むしろそれがハナ・マフマルバフの個性なのかもしれない。多くの忘れ難いシーンを持つ。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭近く、主人公の少女が隣家の少年と云い争いをしている。少女曰く「私は字が読める」と。その彼女の顔をカメラが大写しにするとき、私たちは彼女の前髪が風に揺れていることを認める。この風こそが「映画」であり、ここで風を吹かせてみせること、前髪を揺らしてみせることが「演出」なのだ。開巻に石仏の爆破シーンを置くという度胸も図抜けているが、この繊細さこそが演出家の作家性なのだ(しかしこの爆破の画面は、コンピュータ・グラフィクス技術においていまだに長足の進歩を続けている現代ハリウッド映画でさえ不可能な、絶望的な破壊のスペクタクルでもある)。

しかし映画は「これは傑作に違いない」という私の予感を遥かに超えて展開する。マフマルバフは少女に崖道を歩かせるだけ、卵を抱えてうろうろさせるだけで観客の心を大きく揺さぶる。さらに少女がタリバーンを名乗る少年ら(この面構え!)に捕まってからの演出は恐るべき密度だ。ようやく手に入れたノートは取り上げられ、破り取られ、紙飛行機として飛ばされる。少女は紙袋を被せられて岩窟に閉じ込められ、彼女を追ってきたアッバス少年は泥に埋められる。私は何も単純に少女の受難ぶりが凄いと云っているのではない。それを描くに当たっての「紙飛行機」なり「紙袋」なり「泥」なりの使い方の凄さを云っているのだ(紙飛行機を例に野暮を承知でもう少し具体的に云えば、無邪気な子供の微笑ましい玩具であるはずの紙飛行機が少女を追い詰めるという、演出が作り出す引き裂かれた状況の凄さだ)。あるいは、少女が女学校に到着し、口紅遊びを始めるシーンの時間演出。川沿いに椅子が並べられた「青空教室」の誰もいない画面の強さ。学校からの帰路に再び現われる「タリバーン」少年らの、その完全に不意を突く登場の仕方。そしてラストでは自分にいっさい関心を払わない農作業中の大人に囲まれ(紙袋を被っている!)、鬱陶しく藁の舞う中で、彼女は虚しい叫びを響かせる。ここでも、何も彼女の叫ぶ言葉の意味ばかりが私たちを撃つのではない。真に悲痛なのはその全体としての情景であり、云うまでもなくそれは演出家が描き出したものである。

これは圧倒的な演出技術の映画だ。演出技術こそが観客の心を震わせる。打ちのめす。

(評価:★5)

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