[コメント] TOKYO!(2008/仏=日=韓国=独) - 更新順 (1/1) -
ゴンドリー4点、カラックス5点、ポン・ジュノ4点。他の2編が「都会人の空虚さ」だの「機械化文明への批評」だのと映画外からのアプローチができるのに対し、カラックス編はまるっきり映像で遊んでいる(分割画面の無邪気さよ!)。この説明不可能な面白さはまさに「映画」。 [review] (赤い戦車) | [投票(1)] | |
ミシェル・ゴンドリー編★3、レオス・カラックス編★3、ポン・ジュノ編★2。3作品通してみると、バランス感覚が取れているように思えてくるのは、東京の掴み所の無さゆえか。 [review] (緑雨) | [投票] | |
配点高いですね。ビックリ。配役はやたらもったいない豪華さですが、そんな「使いよう」も監督たちはわかっていなさそう。日本資本で「やりたかったけど営業的に今までやらせてもらえなかった実験作品。でも、結果的に監督自身も満足できなかった」匂いがプンプン。自分が下衆なので良さが分からなかっただけかも知れませんが。 (tkcrows) | [投票] | |
ミシェル・ゴンドリー作品とレオス・カラックス作品は、私には感性が若すぎました。ポン・ジュノ作品のみ世代を選ばない面白さが感じられました。 [review] (ロープブレーク) | [投票] | |
クールジャパンを標榜するトウキョウの恐ろしさよ・・・ [review] (chokobo) | [投票(1)] | |
ゴンドリーの「隙間」。カラックスの「撹乱」。ジュノの「囲い」。 [review] (煽尼采) | [投票(4)] | |
こういう映画もっと作ってほしい。そして今作品、私にとっての贅沢は加瀬亮・香川照之・蒼井優をひとつの映画で堪能できたこと。もちろん、外から見たトーキョーを見るってことももちろん面白かった。ただ、2話目は別。好みの問題ですが。 (あちこ) | [投票] | |
東京という街は世界から見て良くも悪くも個性が無くて逆に不思議な都市なんだろうなというのが見てとれましたね。 [review] (TM(H19.1加入)) | [投票] | |
TOKYO!というタイトルを冠してはいるが、内容はその枠からはみ出し放題。それは、監督がこの三人だから。しかし、そのはみ出した部分こそが、この映画において最も魅力的な部分でもあるのだ。だって、監督がこの三人なのだから。“監督の個性への接近”を求める人にとっては、素晴らしい企画。 [review] (かねぼう) | [投票(1)] | |
ゴジラはそんな悪いやつではないと信じたい。 [review] (パグのしっぽ) | [投票(1)] | |
「カラックスの新作!」なので観ないといけなかった。まあ、悪くなかった。そして、藤谷文子を再発見した。やはりハーフはかわいい。 (Passing Pleasures) | [投票] | |
この種のオムニバスでは約束事に囚われぬ者が勝つのがならいで、要するに才能の差をまざまざと見せつけてカラックスの圧勝。「東京」の固有性などまるで無視。「主演は日本人で」との暗黙の縛りもあっさり放棄(で、引っ張ってきたのがこともあろうかドゥニ・ラヴァン!)。ややもするとこれはカラックスの最高作。 [review] (3819695) | [投票(3)] | |
三者三様ビックリ東京。 [review] (夢ギドラ) | [投票(2)] | |
近年の都市映画では北京や上海を舞台にした作品が異彩を放つのだが、本作の舞台があえて東京である必然性を感じないのは、最早「TOKYO」が都市のもつ多面性を失い硬直化し始めているからかもしれない。それは、そこに暮らす人々の固定化と言い換えてもよい。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(1)] | |
いずれも不思議な内容で、こういうオムニバス映画を観ると、だったらテレビドラマの「世にも奇妙な物語」も相当良く出来ているなと思う。あぁ私は今映画を観ているわ!と一番実感する箇所は監督の顔触れかも。。。 (レディ・スターダスト) | [投票] | |
本当に私は映画を愛し理解しているのだろうかと不安になった。 [review] (momotako7) | [投票] | |
自分探しをテーマにしても、まだ新しい映画を撮れるんだという現在進行形! [review] (SUM) | [投票(1)] | |
外国人から見た東京の素朴な姿を現代人を通して自由に見る、というテーマなんだろうけれど、それぞれ面白いものを見せてもらった。 [review] (セント) | [投票(4)] | |
お前らひとの国に来てなにしてくれるんだ!面白かったけど。 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(3)] | |
破壊神ラヴァンが伊福部音楽に乗り降臨したカラックス篇は『テオレマ』以来のトリックスター論として全き禍々しさと胡散臭さを兼備し、ゴンドリー篇は自己解放から急転直下に至福の境地へ誘う。2人の前ではジュノは未だ形骸的であった。 (けにろん) | [投票(6)] |