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[コメント] ルナシー(2005/チェコ)

「正当な暴力は、何らかの不正と隣接している。否、抑圧的な正義は何らかの不正でもある」(E.レヴィナス)。しかし、自由・解放もまた、何らかの暴力と隣接している――とシュヴァンクマイエルは言っているようだ。
煽尼采

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冒頭で監督が説く、狂気に対する異なる対処法、「完全な自由を与える」、「監視と体罰を与える」、そして「この二つの悪い点を併せた第三の方法」。この「第三の方法」とは何か?恐らく、「アナーキーな暴力」がその答えだろう。そして、続く映画タイトルのBGMには、ラ・マルセイエーズが鳴り響く。これはフランス革命の際に愛唱された曲として、また、フランス国歌としても有名だが、その戦闘的で血の匂いの漂う歌詞でも知られている。シュヴァンクマイエルが本作でその思想を参照したというサド侯爵も、ちょうどこのフランス革命期の人物だ。つまり、フランス革命が実現した「自由」の暗黒面を体現した人物。この映画の中の登場人物として「侯爵」が現れ、この侯爵が精神病院での余興としてドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を題材にする場面も、「自由」の光と闇を表現するためだったのだろう。この場面で、ナポレオンのような格好をした小人が口上を述べるのも、実際に背が低いのを気にしていたらしいナポレオンへの皮肉なのかも知れない。

虚言癖のある色情狂の女シャルロットは、狂気と理性、現実と妄想、被害者と加害者、支配者と被支配者……、これらの間を、自らの性的引力で状況を揺り動かしつつ、往き来する。結局、全ての人間は、自らの自由を手にすればするほど、自身の欲望から自由でなくなってしまうようだ。

狂気を監視・処罰する管理体制の冷酷さを描きつつも、『カッコーの巣の上で』のような、「自由」を希望に満ちたものとして肯定する明るさとも距離をとっているのが面白い。この稀代の妄想家にして偏執狂とも言えるシュルレアリストの手になる作品であるだけに。むしろ、それだからこそ、狂気を内側からよく見つめ得たのだろうか。

主人公によって地下から解放された院長が、狂気を精神の不健康と決めつけ、その精神とバランスを取るためと称して患者の肉体を切り裂く「治療法」は恐ろしいが、映画の冒頭からずっと、あちこちを這いまわり続ける肉片たちは、どこまでも切り裂かれても再生する欲望の根の深さを主張しているようでもある。尤も、最後は清潔にラップに包まれてしまって、息をひそめる事になってしまったけど…。

(評価:★4)

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